長い一日が終わって
3・11金曜日
朝5時半起床。自転車にまたがり、ローラーへ。平均速度30キロで30分。久しぶりの朝練なのでリハビリ感覚で。
昼過ぎからクライアントのところをめざして地下鉄へ。地下鉄が駅に入り込んだ瞬間、地震による停止信号を受けたので停止しますとのアナウンスが入る。
銀座駅で止まったのは本当にラッキーだった。そして地下なので確かに揺れてはいるものの、それほど恐怖は感じない。だが、地上に出ると、お店で商品が散乱していたり、窓ガラスが割れている建物もある。携帯はつながらない。何とか公衆電話を探し出して会社に一報入れる。
その後、新橋まで出て、都営バスで新宿まで移動。この時点では交通も混乱してなかったのでスムーズに帰れた。これもラッキーだった。余震も車内にいたのでそれほど怖くは感じなかった。あちこちの建物から人が出てきて不安そうに周りを見ている。
会社に着いて、津波が田んぼや畑や家や車を飲みこんでいく姿に声を失う。
この時点で家と連絡しても全くつながらない。身重の妻は無事なのか、不安で仕方がない。自転車通勤のメリットは機動力なので、社長にいったん家に帰って安否を確認してくると告げ、自転車で帰宅。車の量は増えている。タクシー待ちの長蛇の列。自宅に向けて歩く人も結構増えてきた。環七や山手通り、中野通りなど要所要所に交通整理の警官がいる。コンビニからはすでに食料が消えていた。
新宿から車の間をすり抜けしつつ明大前の自宅に着くと、そこはテレビ、CD、酒びん、食器が崩れる修羅場であった。
かみさんいわく、最初は食器棚を抑えようとしたが、途中から諦めた。地震後、さくらをリュックに入れて外に出たが、出てくる人が少なく、驚いた、とのこと。
無事でよかった。それから急な事故で産気づいたりもしていなかった。本当にほっとした。
無事を確認し、その後、打合せの予定が入っていたのでいったん会社に戻る。
会社で打合せを終え、帰宅できない同僚たちに申し訳なくも、とっとと帰宅。食器はかみさんがあらかた片付けていたので、私はCD棚を復旧。その後、バルバルで晩飯。
土曜日は二時間かけて本棚の復旧作業。半分映るテレビから原発の爆破画像が流れてきてまた戦慄。そのうち、テレビは映るのをやめ、音声だけになった。
日曜日は何もしないのも精神的に落ち着かないので、多摩川沿いに2時間、58.01Kmをはしってきた。途中で少しだけメニューっぽいこともしつつ走る。
その後、ヨドバシニ行ってテレビを買う。ついでにブルーレイディスクHDDレコーダーも。しかし木曜日まで来ないため、我が家のテレビは当分携帯ワンセグになる。
3月の距離 307.72Km。
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小学校から中学校にかけてはいわき市に住んでいた。被災した四つ倉、久の浜は海水浴に行った場所。平には同級生もいる。ライフラインが途絶えているようで心配だ。
月曜になったら募金に行こう。
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