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伊達直人騒動が遠い昔に思える

当時、児童保護施設にランドセルは要らないと思ったが

タイガーマスク騒動。

あれから3ヵ月ほどたち、3.11を経た今、世間は良心的な、「伊達直人」で溢れている。

皆が胸を痛めて、自分に何かできないかと考え、あるものは寄付を行ない、またあるものは救援物資を募り、またあるものは自ら車を駆って被災地へ乗り込んでいる。

児童保護施設の子供たちは、親の虐待から逃れてきていたり、あるいは親の事情で一緒に住めない子供たちの集まりではあるが、基本的に普通の暮らしをしている。だからランドセルを贈ることは、子供たちへの一方的な善意の押し付けになり(たとえば子供達はほしいランドセルを選ぶ機会が失われてしまうとか)、自己満足で嫌だなあとか思っていた。

しかしいま、東北の保護施設の子供達はどうなっているのだろう。まさにランドセル(や服やおもちゃ)がほしい施設も沢山あるかもしれない。

いや、保護施設だけじゃないんだけども。デイケアセンター、高齢者ホームといった社会的弱者の施設も今は本当に大変だろうし。

それに、原発の回りの人々。南相馬では動けない人たちだけが残らざるを得ない状況になっており、救援物資の配達も拒絶されているとのこと。

南相馬の放射線量は不明だが、福島市では既に自然界で人間が浴びる放射線量1年分をわずか1週間で上回った(毎日新聞 3/23記事より)。24時間ずっと外にいることが前提の数値なので、いささか現実味を欠いているが、1日の3分の1を外にいると仮定して、あと2週間この事態が続けば、福島市の人は皆1年間に浴びてる放射線量をわずか3週間でオーバーすることになる。これが福島の人たちにとっていかなる恐怖か、想像に難くない。

しかし、伊達直人も放射線には手が出ないよな。

やっと震災から落ち着いてきたというのかこうしたことを考える余裕が自分にも出てきた。

ここ数日、落ち着いてじっくり一人になって考えると、どうしても無力感にとらわれる。自分の生活に精一杯で、昔親しんだ東北に、何も貢献できない、と感じてしまう。これ以上無力感にとらわれないよう、余震がなければテレビを見るのもなるべくやめている。

無事だった地域が懸命に自分たちのできることをしなければ、救援に差し伸べる手すら伸ばせなくなる。自分たちにできることをやるしかない、と信じてやっているが、それでも「本当に今、働いてていいのかな」と思ってしまうのも事実。特に放射能が迫ってきてからでは遅いのでは、という思いもまた強い。

3/22火曜 回復走で30分15Kmをしゃかしゃか回す。雨なので電車で会社へ。まだ大丈夫な放射能物質量だとは思うが、それでも雨に濡れたくない、という恐怖に似た感情が生じる。

3/23水曜 起床するも眠気が強い。ためしに脈を図るとばっちりゆっくりなので、肉体疲労ではない。ではないのだが、上記のようなことを考えていて知らずのうちにストレスを抱えているのかもしれない。体が眠りを欲しているんだから、と思い、そのまま二度寝した。

しかし、度重なる余震で目が覚める。

今日は晴れたので自転車通勤。しかし、なんだかちょっとペダルを漕ぐと胸がドキドキする。ここ数日の練習量から言って、これくらいでは心拍は上がらないはずなのだがなぜだろう。汗はほとんどかいていない。やはり心理的な理由があるのかも。

3月の距離 553.80Km

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