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多摩サイの(一見涼しげだが、実は湿っぽい)風を受けて

国立往復走

午後、渋谷に仕事で行った。いい天気だー。ビールが飲みたい。でも我慢して練習。

かなり昨日の加圧トレーニングの筋肉痛を感じる。脚もだるくてなんだかゴムみたいだ。今日はアクティブリカバリーでいいやってことで、会社を出て気持ちよく走れる多摩サイへ。といっても、多摩サイの風は湿り気を帯びているし、虫も多いし、よくよく考えるとそんなに気持ちよいとも言えないのだが…。皇居だとリュック背負って走らねばならないが、多摩サイなら一度家に寄れるので楽チン。完全に夏の南風で、行きが追い風、帰りが向かい風だった。結局時速26Kmほどまで落ちてしまった。まあ、リカバリーだからいいんだけど。それでもただのんびり乗るのでなく、一応ギアを下げて、ペダリングスキルを上げるべく、高回転を意識して乗った。

多摩サイ国立往復走:55.16Km 2時間6分平均[時速26.2Km/心拍136/ケイデンス77]ゾーン1:1時間38分 ゾーン2:19分 ゾーン3(メディオ):2分 ゾーン4(ソリオ):4分 ゾーン5:30秒 

12日の距離6.5+55.16=61.66Km

6月の距離 466.87Km

以下、ある雑誌の清志郎の追悼特集号の話。

rockin'onJAPAN忌野清志郎特集号

6/5発売とメモっておいて、9日になるまで忘れていた。

近所の本屋に行ったらない。

紀伊国屋に行って音楽雑誌コーナーを見てもない。店員さんに聞いたら「音楽雑誌コーナーのはもう売り切れで、上の催事コーナーの平積みならまだある」とのこと。いったら残部数が本当に少なかった。

へー、人気なんだね。と思い購入。移動中などを利用して読んでたが。

この本、だめだ。

1000円も払う価値ない。

まず、メインが過去の同誌の2万字インタビューの単なる再録。彼の功績を検証するでなし、まったく批評性ゼロ。これで追悼特集号なんて聞いてあきれる。そのモンキービジネスっぷりにキヨシローなら天国で「あきれてものもいえねー♪」と笑っていることだろう。過去の写真はイイのがあるけど、でもそれだけ。そもそも2万字インタビューってかなり渋谷陽一があれこれ言って、それに対して清志郎が「うん」とか「そうっすかね」とか「いやいや、渋谷君それは違うよ」とか言ってることが多いんだし。

大体、ロッキンオンジャパンだったら何はともあれ屈指だった名コーナー「誌上文通 忌野くんと仲井戸くん」を再録すべきだった。あれ、本当にいいコーナーだったのに急になくなっちゃったんだよな。なんでだったんだろう。立ち読みだったから、当初はなくなったの気付かなかったんだ。ロッキンオンの編集者たちのことを「みんなマザコンみたいな気持ち悪い奴らばっかりなんだ」なんて書いちゃったからかなあ。

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自分が見に行った今は無き日清パワステライブで、あれはリトルスクリーミングレビューの頃だったと思う。あの日に清志郎が歌ったジョー・コッカーの「Don't let me be misunderstood (悲しき願い)」は鳥肌が立つほどかっこよく、あのステージは一生忘れられない思い出になった。そのライブの後に出た号を立ち読みしたら、清志郎はそのライブの日、息子のタッペイくんが交通事故に遭って、本当は心配でステージをほっぽりだして病院に行きたかったが、悲しみをこらえて歌ってたんだ、と書いてあって愕然とした。あんなクオリティの高い、感動的なステージの裏にそんな事情があったなんてぜんぜん気付かなかった。

そんなこんなで、まあ「くそだな、金返せ」と思いながら読み進んでいたが、チャボのインタビューだけは別だった。清志郎の死後、初めてのチャボ月例ライブで、清志郎追悼と謳って行なわれたライブ後のインタビュー。チャボの喪失感や、まだうまく整理できていない気持ち、そして本当は抗がん剤でも何でも使って1日でも多く生き延びてほしかったといった重い悲しみがないまぜになっており、それがひしひしと伝わってきて、読んでいて何度も目頭が熱くなった。

インタビューで渋谷陽一が言う。

「本当にいいライブだったよ、今日は」

チャボが言う。

「そう。清志郎に見てほしかったな…」

だから、チャボ、キヨシローはもういないんだって。死んじゃったんだって。あなたは50歳を過ぎても本当にいつまでも青臭い人だね。そこが信用できると言う部分も確かにあるけど。とか思いながら気付いたら大粒の涙がぼろぼろこぼれていた。電車の中だったので、あわてて雑誌を畳んだ。

ライブの前に梅津“クレイジー”和時が早川岳晴と一緒にツアーで札幌にいて、彼らもステージ前だったにもかかわらず、チャボに電話かけてきて、「大変だろうけど、清志郎だったら逆の立場になった場合、立派にステージを勤め上げたと思うよ。だからチャボもがんばれ」って激励してくれたって言うエピソードがまた泣ける。棺を担いでいるときのチャボも本当に悲しそうな顔をしてたしな…。

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人が死ぬ、いなくなる、という「不在」とは、文字通り、今まで存在していた人物が消えて、何も無くなることだ。しかし、周りの悲しみにより、不在が際立って浮かび上がってくる、ということがあると思う。たとえて言うならドーナツみたいなものだ。ドーナツの穴は、ドーナツを全部食べてしまうと、そこに穴はなくなる。つまり無。しかし、ドーナツに囲まれているからそこに空間があると認識できるわけだ。清志郎が亡くなった、ということ自体は存在が無になった、ということだ。清志郎を知らない人にとって(たとえば10代の若者とか)はドーナツを全部食べてしまった状態だろう。そこには何もない。

でも、僕らにとってはそうでない。チャボや梅津さんや早川さんの深い悲しみ(ドーナツ部分)に触れることで、ああ、真ん中が空っぽになったんだな、と認識させられる。だから今回のチャボのインタビューで、清志郎が亡くなった悲しさが少しだけ自分の中で明確になった。そういう意味で、僕もドーナツの一部分だったわけだ。でも、青山斎場に何万人も集まったということは、かなり大きなドーナツのようだが。そんなことをインタビューを読み終えて考えた。

で、あとはくそ。坂本龍一のインタビューもあったけど今頃聞いてもしょうがない話ばかりでくそ。この雑誌の功績は悲しみに暮れるチャボからしっかり生の声を引き出し、その悲しさを浮き彫りにさせた点にある(その点にしかない)。それでさえも渋谷陽一はこのタイミングで本当に聞いてもいいのだろうか迷った、とかエクスキューズを前文に入れてたけど。そういうのって本当にずるい。迷っても結局聞くくせに。そして載せるくせに。そんなエクスキューズ入れるなんて最低だ。

でも、チャボのインタビューがそんなこんなを全部帳消しにしてくれた。よく聞いた。そこだけはスタンディングオベーションで拍手を送ろう。でも、あとはくそだ。

まあ、追悼号とは亡くなった人へのある種の弔いなんであって、読み手に悲しいと言う気持ちを起こさせる責任なんてまったくもって負っていないわけだけど。それにしても昔の記事をそのまま載せてそれで追悼です、なんて故人への冒涜じゃない? かなりがっかりした。

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